平安
「もし解雇されたら、私はどうやって家族を養えばいいでしょうか」「定年退職した時、十分な退職金をもらえるでしょうか」「テロリストの脅威で、旅行は今までのように安全ではなくなりました」「家族がガンになってこの世を離れるようなことなど想像もしたくないです」
欲張らずに、ただ自分が健康でいられること、家族に普通の生活を送って欲しいと願っているとしましょう。しかし、こんなにシンプルな望みでさえも、生活の憂いに変わってしまいます。
私たちは明日どんなことが起きるか予測できません。仕事は安定するのか。新しい病原体が日に日に発見され、新しいバイ菌の種類も増えていき、卓上の食べ物を安心して食べることもできなくなり、都会における犯罪率も伸びる一方です。
人々は安心を得るために、多くの事において専門家に教えを請います。例えば食生活の改善、運動をするタイミング、賢い投資、或いは職業の変動に備えて新技術を身につける等々。私たちは少しの平安を求めるために、どれだけの犠牲を払っているのでしょうか。
たとえ私たちが必要な物のを定期的に入手できるとしても、それに伴う副作用が起こります。私たちの心は矛盾し、恋愛関係の問題から免れられなく、解決も難しいでしょう。また、良かれと思ってしたことが、家族や友人とのトラブルの原因になる時があります。両親や子供とのコミュニケーションが難しくなり、小さな事で争い、或いは職場の上司と意見が分かれる時があります。
人生の道において、私たちは進行方向をコントロールすることはできません。生計のために私たちは無関心になります。何かを我慢して折り合いをつけようとします。しかし、少しでも過ちを犯すと、平安は忽ち私たちから去って行きます。
「どうして私は冷静になれないのでしょうか」「どうして私の心に平安が足りないのでしょうか」「私はどうするべきですか」「私に選択する権利はあるのでしょうか」
もちろん、あります!
真の平安はただ人間の能力に頼ってはいけません。ただ主イエス・キリストのみが私たちに力を与えることができます。
彼は言われました「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」(ヨハ14:27)
「彼に平安を求める者は、必ず得られる」これは大胆な約束です!イエスは誰ですか?どうして彼は私たちの患難を理解してくれるのでしょうか?
主イエスは貧しい大工の息子で、四方に旅する教師でした。但し、主イエスはただの人ではなく、神でもあります。彼がこの世界に来たのは、私たちにいかに平安に過ごせるかを教え、指導してくださるためです。主イエスは自らの困難や憂いに立ち向かい勝利を得たため、彼の言葉と御業が私たちを助けられる証明となります。
しっかりと主イエスの言葉を聞きましよう、彼が賜るのはこの世界に属しない平安です。人は自らの力で他者や物から平安を得ることはできません。主イエスは私たちの患難を理解してくださって、私たちを欺くことはありません。
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(ヨハ16:33)
主イエスはすでにこの世界に勝ったので、彼は彼の平安を人々に賜ることができます。それ故に、私たちはただ信仰心に基づいてこの命の道を歩みます。そうすれば多くの憂いから免れることができます。
私たちが試練に会い、助けが必要になった時、私たちは彼からの慰めを体験することができるでしょう。たとえ順調にいかない時でも、私たちはその過程からキリストが私たちに学ばせることを体験できるでしょう。ただ彼を信じ、何事をも託せば、彼は必ず助けてくださいます。
主イエスは私たちを愛し、永遠の命の幸を賜ると約束しています。もちろん私たちの生活や諸々の悩みをも顧みてくださいます。
平安の値段はいくらでしょうか。一銭も支払わなくても良いのです。ただ信じてください。憂いを打ち明け、イエスに心の扉を開き、キリストの平安が内に入るようにしましょう。そのように行えば、きっと彼こそが真の平安と気づきます。
さあ!今日からイエスを知りましよう!