安息日
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答:聖書は次のように言う:「神はその第七日を祝福し、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである」(創2:3)。聖日とは第七日の安息日であり、「主の聖日」(ネヘ8:10、イザ58:13)とも呼ばれる。
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答:神は最初に天地万物を六日の間に創造し、第七日目に休まれた。神ご自身が休まれただけでなく、さらに廃除してはならないことを三つ設立された:
(1)安息日を設立された。
(2)第七日を祝福された。
(3)第七日を聖日と定められた。この時から安息日は世に伝えられ、永遠に廃除してはならない制度となった。 -
答:「安息日は人のためにあるもので」(マル2:27)、人と最も密接な関係にある。第六日に人を創造されてから、この安息日が設立されたのである。神が第七日にすべての創造のわざを終えて休まれたのは、その創造の計画の中に「人」があり、これが最後のわざであるからで、しかも創造されたすべてのものを良しとされたからである(創1:31)。人が造られた後、神はすべてのものの管理を人に委ねられた。人は地上において、管理の仕事と責任を持つと同時に、第七日の安息も必要となる。だから、安息日は人がいるために神が設立されたものである。
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答:
1.神が天地万物を創造されたわざを記念する:
第七日の由来は六日間の創造のわざが成就されたことに基づくもので、人類にその始まりを記念させるためである。時を経ても、周期的に来る第七日をもって絶えず人類に天地万物の由来と創造の主宰者を忘れてはならないことを教える。神をあまり知らない人は天地万物の由来を知らないために、宇宙万物は自然にあるいは偶然にあったものと考えて、究めようとしても、はっきりとはしない。しかし、聖書は神を知る簡単な方法を教えている。即ち、被造物を通して、「明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない」。万物が私達の目の前にあり、それらの源、息、育成、運行、巧みさ、秩序、広大さ、繊細さについて、自然にあるいは偶然にできたという答えでは人を満足させることは当然出来ない。必ず創造主がいらっしゃるのである。私たちが宇宙万物の偉大さと巧妙さを知るほどに神の創造を認めざるを得ない。この安息日は神の創造の記念日であり(出エジ20:11)、人類に創造主の存在を啓示している。ゆえに神は言われた、「わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである」(エゼ20:20)。
2.神が祝福された日に祝福を得させる:
「神は第七日を祝福された」、これは小さなことではない。多くの人はこの点を軽んじている。なぜなら、神の祝福は日々あって、第七日だけに限らないからである。確かに神の祝福は日々ある。しかし「第七日の安息日」は特別に祝福された日であり、他の日とは異なる。通常、神の祝福の動機は人のために、ある人或いはある事柄が神に喜ばれ祝福されるものである。しかし一日を対象とした祝福は「安息日」だけである。この日の祝福はこの日によるのである。「第七日を聖とされた」という聖句は、第七日が来れば神は祝福するということである。七日毎に一度固定され、永遠に変わらない。かつて六日間の創造の中で、神は二度祝福された。一度目は第五日に、命ある生き物を祝福してそれらをふえさせられた(創1:22)。二度目は第六日に、人を「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」と祝福された(創1:28)。今に至るまで世界の多くの動物や人類は断えず繁殖し、人類には世界を管理する力が与えられた。これは神の祝福の結果であり、神の祝福が今も昔も空に終わったことはないことが分かる。同じように神が祝福した「第七日」も古今空に終わったことはない。第六日はこの世の祝福であり、第七日は霊の祝福である(エペ1:3)。神が第七日を祝福したのは、日にちに対してではなく、人類に安息日の祝福を得させるためである。誰でもこの日を守り、神の賜る祝福に望みを抱けば必ず得ることができる。
3.聖別されたことを知らせる:
聖書曰く:「わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである」(エゼ20:12)。神は第七日を祝福して、これを「聖別された」。この日を聖別されたことにより、神がこの日を重視しておられることが分かる。神は「わが安息日」と言われるが、これは神がこの日を聖とされたからである。今日まだ多くの人が、神が「聖別された」ことの重要性を理解していない。どの日でも聖とされる、或いは毎日同じである、またある人たちはこの日よりあの日が良いと思っている。これらは全て人の考えによるもので、神の定められたことではない。神の定めには力があり、第七日を聖日と定められたことは永遠に変わることはない。なぜなら神は自分に背くことはないからである。神の定めには意義もある。なぜ第一日(すなわち日曜日)を聖日と定めずに、第七日を選んで聖日と定められたのか?安息日は人のために設立されたもので、第一日は光しか造られておらず、まだ人はいなかった。第六日になって人が造られた後、この安息日は設立された。同時に神もまた休まれた。故に第七日を聖日と定められた。神は「毎日が同じである」とは見られない。人の偏見や私意は、「この日はあの日より良い」と考え、甚だしきに至っては別の日をもって神の聖日に変えたりするが、これらはみな不法である。神がすでに第七日を聖日と定められた以上、私たちは聖日と定められた第七日を守らなければならない。これに異議を唱えてはならない。神はすでに私たちに聖日を賜ったが、その御旨は神が私たちを聖別されたことを私たちに知らせることである。これはイスラエル人だけではなく、神に召された異邦人も同じようにしなければならない(イザ56:6~7)。安息日は罪のなかった聖潔な時代からすでに始まっており、また罪のない聖潔な人だけが楽しむことができる。神の御旨は、私たちがこの日を聖とされたことを知るだけではなく、私たちに聖なる国民となることを教えており、これこそ神の要求を満足させることが出来る(Ⅰペテ1:15、2:9)。
4.心身ともに休める権利を楽しむ:
人類の祖先がエデンの園で過ごした生活は聖潔で罪のないものであり、しかし働かずに遊んでいたわけではない。神は彼らをエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられ(創2:15)、また全地を治める任務も与えられた。働く責任があれば休む権利もある。神は永遠に疲れることはなく、神の安息は仕事が終わったことをあらわす。しかし人はちりで造られたのであって、安息を必要とする。人類が堕落してから、エデンの園の清く楽しい生活が保てなくなり、罪を犯したことで一生苦しみ、顔に汗して地から食物を取るようになった(創3:17)。また心に憂いや煩いの重荷を負っているので、安息の祝福と喜びを必要とする(マタ11:28~29)。これも安息日が人のために設立された役割である。故に聖書曰く:「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」(イザ30:15)。
5.将来大いなる安息日に入る約束に望みを抱く:
第七日の安息には預表の働きがある。神は安息日を覚えよと言われたが、それは将来もう一つの大いなる安息日を神の民に賜われるからである。ヘブル人への手紙ではこの点について、「それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか」(ヘブ4:1)と強調している。イスラエル人は神によって、奴隷となったエジプトから導き出され、安息の地カナンに入ったが、これは将来私たちが神の大いなる安息に入る約束を預表している。この大いなる安息の年とは、「安息日の主」の二度目の来臨の時に幕が開く。聖書曰く:「なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである。したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない」(ヘブ4:10~11)。今日神の民として将来入るべき安息、すなわち神が約束された「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われる」の最後の実現に望みを抱くべきである。 -
答:祖先が罪を犯して堕落し、楽園から離れてから、安息日の真の祝福を人類は十分に楽しむことが出来なくなった。イスラエル人がエジプトで奴隷となり、辛い仕事に当たって虐待されていた時に至っては(出エジ1:14)、安息を楽しむ言葉すら出てこなかった。その後、神はその大いなる御手によって、奴隷となったイスラエル人をエジプトから救い出されたが、その目的は彼らの苦しみを取り除き、神の安息の地―カナンに入れることであった。荒野において神がマナを降らせた時、彼らは久しく楽しむことが出来なかった安息日を再び与えられた。モーセ曰く:「あすは主の聖安息日で休みである」。また、「見よ、主はあなたがたに安息日を与えられた。ゆえに六日目には、ふつか分のパンをあなたがたに賜わるのである。おのおのその所にとどまり、七日目にはその所から出てはならない」(出エジ16:23~30)。その後のまたある時期、イスラエル人はバビロンの捕虜として七十年間を過ごし、釈放された後に安息日を回復させることが出来た(ネヘ13:22)。この時イスラエル人はエジプトやバビロンの奴隷ではなく、神の民であったので、神の賜る聖安息日を楽しむ資格があった。
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答:イスラエル人はエジプトを出て、シナイ山に着いた時、神が安息日を十誡の中に入れ、世々これを守らせると同時に、二つの意義も掲示された。
1.「主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」(出エジ20:11)。
2.「あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられたのである」(申5:15)。これによって、十誡の中で言われた安息日を守る意義とはイスラエル人に:
(1)神の創造を記念させる。
(2)神の救いを記念させる。
この二つの記念によって、安息日を守ることはイスラエル人の本分であり、戒めの中の安息日の精神はここにある。 -
答:神の創造と救いを記念するのはイスラエル人に限ったことではない。ある人は戒めにある安息日を守ることはイスラエル人に限ったものであって、自分には関係ないと思っている。これは間違った考えである。主を信じた異邦人も神の創造と救いに預かる。私たちはエジプトで奴隷になったことはないが、サタンのもとで罪の奴隷になっていたではないか(ヨハ8:34)。これはイスラエル人がエジプトで奴隷になったのと同じことである。エジプトのパロはサタンをあらわし、われわれが主の救いによって、サタンの権限から離れたのは、イスラエル人がエジプトから導き出されたのと同じことである(使徒26:18)。だから、戒めに定められている安息日を守って、神の創造と救いを記念する意義はイスラエル人に限ったものではなく、神の救いに預かったクリスチャンにもっとも適したものである。
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答:聖なる安息日の設立はシナイ山の戒めより二千年余りも早い罪のないエデンの園の時代である。これによって、安息日は罪と律法を超越するものであることが分かる。シナイ山より前に、神は既に安息日をイスラエル人に賜ったのである。ゆえに、安息日を守ることは戒めが唯一の根拠ではない。今多くの人は、安息日とは戒めの産物で、律法の性質を持っていると考えているが、それは間違いである。神が安息日を十誡の中に入れられたのであって、戒めによって安息日が設立されたのではない。戒めによって安息日の尊厳性をあらわすと同時に、戒めを離れてもその超越性をあらわすことができる。神が安息日を十誡の中に入れられたのは、イスラエル人に世々これを守らせ、神の創造と救いを忘れさせないためである。戒めは道徳性のもので、安息日とは一時的な律令ではなく、道徳における本分である。例えば、父母を敬うのは道徳であるのと同じく、神の創造と救いを記念することも道徳である。だから、安息日を記念することは道徳性の戒めに入るものである(出20:8)。十誡は神が自ら書かれたもので(出24:12)、聖であって、正しく、善であり(ロマ7:12)、完全で(ヤコ1:25、詩19:7)、廃することができない(マタ5:17)ものである。安息日を戒めに入れることでその重要性が高められ、この日をなくしてはならないこととして確立されたのである。だから、戒めによって安息日を守ることは正しいことではあるが、戒めによらずとも、安息日を守る重要な根拠がある。すなわち安息日は人のために設立され、キリストはまた安息日の主であるからである。一人のクリスチャンとして神の戒めを廃することができたとしても、キリストが主である安息日を廃することはできるか?
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答:いいえ、安息日は種族を超えるもので、イスラエル人に賜ったと同時に、すべての「人」のために設立されたのである。だから、ユダヤ人より先に、安息日はあったのである。神が安息日をイスラエル人との契約の証拠にされたのは、主が彼らの神であり、彼らを聖別するためであった(出31:13)。もちろん、神は異邦人の神でもあり(ロマ3:22)、異邦人をもきよめられた(Ⅰコリ1:2)。旧約時代において神は、神と連なり、主に仕え、安息日を守り、これを汚さず、主の契約を堅く守る異邦人をご自分の聖なる山に来させられた(イザ56:6~7)。これにより、異邦人も神の安息日と契約にあずかることができる。霊的には、異邦人の信者はキリストのものであることによって、アブラハムの子孫となったのである(ガラ3:29)
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答:聖安息日の本質は律法を超越したものである。モーセがシナイ山から戒めを伝え、ユダヤ人に守らせたのは律法の安息日である。そのため非常に厳しく、如何なる仕事もしてはならない。この日を汚す者は重罪であり、死に至ることもある(出エジ31:14~15)。主イエスが世に降った時、ユダヤ人は律法に従ってこの日を厳しく守り、主イエスの安息日に対して抱いている新しい態度を何度も責めた(マタ12:2、マル3:2、ルカ6:7、ヨハ9:16)。律法の総括はキリストであり、同時にキリストは恵みの時代の始まりでもある。キリストは世において「安息日の主」であると自任し、律法の安息日を恵みの安息日に変えられた。ユダヤ人は律法の観点に基づき、安息日には如何なることもしてはならないと認めている。しかし主イエスは恵みの立場から、安息日に良いことをするのは、正しいことであると言われた(マタ12:12)。また主イエスは創世以来神が定められた「第七日」を変えることはせず、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読し、教え、病人を癒された(ルカ4:16、マル1:21~22)。それゆえ、新約の安息日は、日にちは変わらず、また変えることも出来ない。ただ恵みの時代に入ったので、ユダヤ人が律法の立場で守っているのとは異なる。
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答:恵みの安息日は確かに第七日であるが、この日は律法の範囲に属してはいない。なぜなら主イエスが安息日の主となられたからである。ただし主イエスが来られたのは、律法を廃するためではない。主は言われた、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである(マタ5:18)。これは十誡の原則を廃することはできないことを指す。なぜなら十誡には神を愛し、人を愛するという二大要綱が包括されているからである(マル12:30~31)。神が自らの手でもって二枚の石の板に十誡を書きしるされたのは、モーセが伝える他の律令や規定と分別するためである(申4:13、列王下21:8)。主イエスが世にいらっしゃった時も、人に戒めを守るようにと教えられた(マタ5:19)。主は言われた、「命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」(マタ19:17~19)。すなわち、戒めの道徳性を抹消することは出来ない。なぜなら如何なる場合においても、神の戒めを守ることは、主を信じて永遠の命にあずかることと相反した矛盾を起こすに至らず、むしろ相成る作用を起こすからである。今日多くのクリスチャンが行き過ぎた是正を行い、「信仰のゆえに律法を無効にする」危険を招いている(ロマ3:31)。ある者は安息日に反対するために神の戒めにも反対している;また第四の戒めである安息日だけに反対して、他の九つの戒めを擁護しているが、これはカトリック教が大胆にも第二の戒めである「偶像を拝んではならない」を廃除したのと同じ轍を踏んでいる。「一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになる」ということを知るべきである(ヤコ2:10~11)。個人の都合によって神の戒めを勝手に取捨する、これはなんと重い罪であろうか!神が主イエスを安息日の主とならせ、それによってもたらされた恵みは、私達のために「わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた」(コロ2:14)。「前の戒めが弱くかつ無益であったために無効になる」(ヘブ7:18)。この「規定」と「戒め」は、モーセの伝える定めやおきてに属す(申4:1)。これらの多くは礼儀に関係することであり、十誡と同等ではない。「それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いごとに関する行事であって、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎない」(ヘブ9:10)。安息日を守る規定としては、柴を拾ってはならない、食事を作ってはならない、担いではならない、商売をしてはならない、遠くへ行ってはならない、仕事をしてはならない、家畜を放牧してはならない等があり、非常に厳しく、律法時代において守らなければならなかった。また人の肉体的弱さや環境の困難によってなし得なかったこともあった(ロマ8:3)。守ることが出来なければ規定の非情な攻撃に遭い、人に対して「害あって益なし」となる。これら前の戒めは無益であったために廃除された。現在の恵みの安息日は、ただ無益な規定を廃するだけで、元から定められた日にちを覆すものではない。安息日を守ることは規制されることなく、かえって自由と安らぎを感じることが出来る。それはまるで同じ太陽でも、夏の時は暑くてかなわないが、冬の時は暖かさを感じることが出来るのと同じようである。
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答:歴史の記載によれば紀元336年、ラオデキヤでの会議において、安息日(土曜日)を日曜日(七日の第一日)に変えることが決定された。カトリック教はこのことを明らかに認めており、かつこれをもって自ら神の権力を握っていると自負している(Ⅱテサ2:4)。まさにダニエル書の預言(ダニ7:25)が成就している。カトリック教が安息日を変えた事実は、歴史家及び各教会の著書に多く記されている。他はともかく、カトリック教の香港真理学会が出版している「信者要理問答」によれば、十誡について論じている箇所に安息日を変えた事実が記され、有力な証拠まで提供している。この書の原文を以下にまとめた:
Q:第三の戒めは何か?(カトリック教の十誡は元の第二の戒め「偶像を拝んではならない」を削除し、第四の戒めを第三の戒めとし、第十の戒めを二つに分けて、十誡としている―編者注)。
A:第三の戒めはカトリック教の礼拝日であり、サバトである。(サバトとはすなわち安息日である)。
Q:サバトとはどの日を指すのか?
A:サバトは第七礼拝日、すなわち土曜日である。
Q:なぜ私達は主の日を守り、サバトを守らないのか?
A:私達が主の日を守りサバトを守らないのは、イエスの生誕後336年、公教会がルチア公会議において、教会の祝典を土曜日から日曜日に変えたためである。
Q:公教会はなぜ土曜日から日曜日に変えたのか?
A:公教会が土曜日から日曜日に変えたのは、キリストが死から復活されたのが日曜日であるからである。
Q:公教会は何の権力で土曜日から日曜日に変えたのか?
A:公教会はイエス・キリストから授かった完全なる神の権力に基づき、土曜日から日曜日に変えた。 -
答:日曜日を守る習慣は古代の太陽信仰から起こった。太陽信仰はペルシャから始まり、その後ギリシャとローマに伝わった。キリスト教がローマに伝えられた時、太陽信仰は急速に発展し、ローマ皇帝の擁護も得ており、逆にキリスト教は迫害されていた。太陽信仰は最初に曜日制を用い、七日を七曜とし、日曜日を「日曜」とし、また第一日(日曜日)に太陽を拝み、尊いものとした。この日には太陽を信仰する多くのローマ人が仕事を休み、宴楽にふけり、太陽を拝んだ。当時ローマにいたキリスト教のリーダーは、太陽信仰の信者の歓心を買うため、次第に異教の風に揺るぎ、深く染まり、やがて太陽日をも守り、その名を「主の日」と名付けた。イエスが週の初めの日に復活されたことを理由にして、この転換を支持し、元から定められた安息日(第七日)を軽視した。紀元321年、ローマ皇帝は、日曜日に休んで太陽を拝む律令を発布した。336年、それはローマ・カトリック教へと変質し、ラオデキヤにて召集会議が開かれ、正式に安息日の礼拝は日曜日へと変えることが決定し、現在に至る。歴史は覆せないが、カトリック教は安息日を日曜日に変えたことを認めており、イエスがこの日に復活されたことを理由にしているが、実は太陽信仰という異端を受け入れたのである。つまり日曜日とは異国の邪教のしるしであることが分かる。
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答:ない。聖書から「日曜日」という字を見付けることは出来ない。黙示録1章10節にある「主の日」は日曜日ではなく、また「週の初めの日」でもない。聖書には週の初めの日が「主の日」であるということを証明するものは一切ない。カトリック教は、安息日を日曜日に変えた理由として、イエスが週の初めの日に復活されたからとしている。今多くの教会がこの根拠に基づき日曜日を守っている。しかし聖書にはイエスがこの日に復活されたことにより安息日を週の初めの日に変えたという使徒の記載は全くない。逆にイエスが復活された後もいつもどおりに安息日を守っていたことを、異邦人の使徒であるパウロでもって証明する。
1.パウロとバルナバ、アンテオケにて:「安息日に会堂にはいって席に着いた。律法と預言書の朗読があったのち…」「次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた」(使徒13:14~44)。
2.パウロとシラス、ピリピにて:「ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした」(使徒16:13)。
3.パウロとシラス、テサロニケにて:「ここにはユダヤ人の会堂があった。 パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ」(使徒17:1~2)。
4.パウロ、コリントにて:「パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた」(使徒18:4)。
つまり主イエスが「いつものように」安息日に会堂に入られた以外にも(ルカ4:16)、イエスが復活された後、使徒も「例によって」、安息日ごとに会堂に入った。使徒が安息日を守るのは、それがいつも自ら行っていることであり、ユダヤ人のためだけに守っているのではないことを証明できる。使徒は自分のために安息日を守りながら、ユダヤ人と真理について論じている。 -
答:イエスは安息日の主である。これにより私たちには信じる理由がある。すなわち、主は永遠に主の安息日を支持し、使徒たちに「週の初めの日」に復活されたから安息日を守る必要はないとは決して命じていない。主は神の戒めを廃することはせず、また戒めの中の安息日だけを単独で廃するとも言われていない。聖書によれば、主イエスが週の初めの日に復活されたのは、死後三日後に復活するという預言を成就するためであり、この日を第七日に替えるということではない。主が死より復活されたのは福音の事実である(Ⅰコリ15:3~4)。この事実は安息日と並存して衝突するものではない。なぜ主の復活された日が安息日に取って代わるのか?真理的根拠からこれを見出すことは出来ない。それとも主が復活された後、安息日の主となり得なかったのか?主の死と復活はすべて福音であり、この福音を宣べ伝えれば、すべて信じる者に、救を得させるのである(ロマ1:16)。主の「受難日」と「復活日」を記念することで救われるのではなく、また「復活日」をもって「安息日」に替えて主の復活を記念できるのでもない。日曜日を守っている教会は常に次の聖句を引用する:「これは主が設けられた日である」(詩118:24)。しかしこの日が必ずしも主の復活された日を指しているとは限らない。主が罪人のために死んで下さった日も神によって定められた日ではないか(ロマ5:6)?主のお生まれになった日も神によって定められたではないか(ガラ4:4)?これらの日は全て主イエスにおいて成就されたが、聖書にはこれらの日を記念日と定めていない。ただ安息日(第七日)だけが古来より神の定めた聖日であり、必ず記念し守らなければならない。このほかに、現在カトリック教やキリスト教が定めた多くの祝祭日があるが、新約聖書においてそれらは守るべき教えと模範であるとは記されていない。それらは人の思いや言付けによるものであり、よりどころとするに足りないものである。
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答:「週の初めの日」という言葉は新約聖書において八ヶ所ある:
1.「週の初めの日の明け方に」(マタ28:1)。
2.「週の初めの日に、早朝、日の出のころ」(マル16:2)。
3.「週の初めの日の朝早くイエスはよみがえって」(マル16:9)。
4.「週の初めの日、夜明け前に」(ルカ24:1)。
5.「一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに」(ヨハ20:1)。
6.「一週の初めの日の夕方」(ヨハ20:19)。
7.「週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時」(使徒20:7)。
8.「一週の初めの日ごとに、あなたがたはそれぞれ、いくらでも収入に応じて手もとにたくわえておき」(Ⅰコリ16:2)。
以上の聖句を研究すると、1~6は福音書に記されているイエスが週の初めの日に復活された事実であり、主の死後三日後に復活するという預言の正確性を証明するものである。故に必ず週の初めの日という時間性を示さなければならない。その意義は主の復活の預言を成就するために過ぎない。使徒たちはその晩、主の復活を祝うため家にいたのではなく、ユダヤ人を恐れて家の戸をみなしめていた。故に主はその晩彼らに現れ、彼らに信じさせた。しかしこの日をもって主の復活を記念するよう使徒たちに命じられなかった。7で、パウロがトロアスに七日間滞在し、週の初めの日に集会してパンをさいたのは、次の日パウロは出発することになっていたため、特別に集会を開いたのであり、いつもこのようであるわけではない。8ではパウロがコリント教会に対し、「一週の初めの日ごとに、それぞれの収入に応じて手元にたくわえておきなさい」と命じた。つまり一週の初めの日に会堂に入ってささげるのではなく、第一日に献金を「たくわえておき」、ささげるときまで待ち、その時になって慌てて献金を用意しないようにするためである。以上八ヶ所の「週の初めの日」が書かれている聖句は、これらをもって「日曜日」を守るように替える証拠にはならない。もし当時使徒が安息日を守らず、週の初めの日に替えたならば、それは大事件であり、使徒たちが割礼を受ける必要はないと力説したことが明白に記されたのと同じように(使徒15:10)、聖書に明確に記されるはずである。しかし新約聖書において安息日は割礼に続いて廃されるとは記されていない。逆に教会の柱であるヤコブは当時こう言った:「古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしである」(使徒15:21)。「古い時代から」とは古から使徒時代に至るまで、安息日ごとにモーセの書を宣べ伝える者がいたということであり、使徒時代の教会で安息日を守ることは絶対に異議のないものであったということである。 -
答:第七日の安息日は深い預表の役割を持ち、その意義は大きく、過去の創造を記念するだけではなく、未来の実現に対する望みでもある。すなわち、もう一つの安息日の休みが、神の民のためにまだ残されていて(ヘブ4:9)、それはキリストのご再臨の時に実現される。その時、夜はもはやなく、あかりも太陽の光もいらない(黙22:5)。これこそ私達が最後に待ち望むことである。ゆえにコロサイ人への手紙2章16節~17節では、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについてはきたるべきものの影であると言った。あることはすでに実現した。それは過ぎ越しの祭りが影から形になったようである(Ⅰコリ5:7~8)。旧約における飲食上の規定は改革の時に終わった。しかし飲食自体を廃することは出来ない。同じように安息日を守る規定は、新約においてあるものはすでに必要がなくなったが、安息日自体を廃することは出来ない。それは飲食を廃することが出来ないのと同じである。安息日の後のことは、キリストのご再臨のときに実現される。「なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである」(ヘブ4:10)。
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答:恵みの安息日を守ることは難しくない。旧約の律法の時代のように、安息日に何かしてすぐとがめられることはない。神が安息日を私たちに賜ったのは、私たちに幸いと喜びを得させるためであり、それによって罪や苦しみを受けさせるためではない。主にこの幸いと喜びは霊に属し、肉体もまた霊的な幸いと喜びによって心地よくなる。主は言われた、「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタ11:29~30)。安息日に、もし主の負いやすいくびきを負い、主に学び、主の行われたことにならい、安息日に会堂に入って神に親しむならば、安息日の真の幸いと喜びを必ず得られるであろう。なぜなら主イエスは安息日の主であり、また安息日に多くの肉体や魂の苦しみを救われたからである。ゆえに安息日を守るには以下の点に注意しなければならない:
1.集会に参加する:「六日の間は仕事をしなければならない。第七日は全き休みの安息日であり、聖会である」(レビ23:3)。「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしない」(ヘブ10:25)。
2.神の聖所を敬う:「あなたがたはわたしの安息日を守り、またわたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である」(レビ26:2)。「あなたがたの神、主がその名を置くために、あなたがたの全部族のうちから選ばれる場所、すなわち主のすまいを尋ね求めて、そこに行き」(申12:5)。
3.聖書朗読:「古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしである」(使徒15:21)。「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた」(ルカ4:16)。
4.特別な祈り:「ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った」(使徒16:13)。
5.集まって御言を聞く:「次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた」(使徒13:44)。
6.言葉と行いを慎む:「安息日を守って、これを汚さず、その手をおさえて、悪しきことをせず、このように行う人、これを堅く守る人の子はさいわいである」(イザ56:2、58:13~14)。
7.真理を伝え善を行う:「安息日にすぐ、イエスは会堂にはいって教えられた」(マル1:21)。「安息日に良いことをするのは、正しいことである」(マタ12:11~12)。