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聖書

  • 一、聖書は世界でどんな位置付けにあるのか?

    答:聖書は全世界の中で最も権威のある書物である。今の聖書は全部或いは一部が一千余りの言語や文字に訳され、年間で印刷される聖書は数千万冊にものぼり、しかも年々増えている。世界中に聖書と比べられる書物はない。わたしたちはこれを奇跡だと思っている。

  • 二、聖書はなぜ世界中に広く伝えられているのか?

    答:神は文字で世の人々に啓示を与え、人々に神の御旨と御力、宇宙と人間の始まりと結末を分からせる。神が文字による啓示を用いられたことは神の妙なる御業である。神は全人類と密接な関係にあるため、聖書も全世界的に伝えられた。これはまさに、「その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ」(詩19:4)ことではないか。

  • 三、人間にとって最も重要な聖書の働きとは何か?

    答:「聖書が、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵をあなたに与える書物である。人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」(Ⅱテモ3:15~16)。聖書は世の人々の信仰の手引きであり、天国の道を歩むときの灯りである。人々の文学の鑑賞作品、歴史考察の証拠、あるいは哲学の空論のために供したものではない。聖書の最も重要な三つの働きは:
    1.人を正す:多くの人は「正しい道からはずれて迷いに陥っている」(Ⅱペテ2:15)。神は言われる:「わたしの戒めを心にとめよ」(箴1:23)。「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ」(エレ6:16)。「もし彼らがわたしの議会に立ったのであれば、わたしの民にわが言葉を告げ示して、その悪い道と悪い行いから、離れさせたであろう」(エレ23:22)。これは神が聖書を通して、今どこにいる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じられたのである。(使徒17:30、3:19)。
    2.人に義を学ばせる:「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう」(マタ5:6)。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんの差別もない(ロマ3:22)。「モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである」(使徒13:38~39)。人はイエス・キリストを信じることによって価なしに儀とされ、聖書の教えを受け、義の言葉を味わう(ヘブ5:12~13)、「それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである」(Ⅱテモ3:17)。
    3.人に救いを得させる:主イエスが言われる:「わたしは人からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである」(ヨハ5:34)。神が聖書で語られた御言葉は私たちに救いを得させるためである。主はまた言われる:「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」(ヨハ6:63)。「もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう」(ヨハ8:51)。「御言には、あなたがたのたましいを救う力がある」(ヤコ1:21)。「これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である」(Ⅰペテ1:25)。

  • 四、聖書は人間によって書かれた物なのに、なぜ神の言葉と呼ばれるのか?

    答:聖書は人の手によって書かれたが、この人たちは神の霊に感動され、導かれたのである。だから、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであり」(Ⅱテモ3:16)、「神があなたがたに言われた言葉」(マタ22:31)である。故に、この中に秘められている奇妙、活発、偉大、堅固、豊富、奥義、真実は人類の知恵を越えたものである。もし神の啓示でなければ、人によってこんなにも権威のある書物を書くことなどできない。これは「人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである」(Ⅱペテ1:21)。この言葉は神の教えであり、聖書を調べるのはその教えを知るためである(使徒17:11)。

  • 五、聖書の文字は即ち神の教えなのか?

    答:文字は神の教えを記載し、表し、宣べ伝える道具に過ぎない。人類に文字がない以前から神の教えがあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった(ヨハ1:2)。「初めからあった命の言」とも呼ばれる(Ⅰヨハ1:1)。この言は肉体となって現れ、世の人々はこれを目で見、手で触る事ができた。また、世の人々の中に住み、この永遠の命を世の人々に賜った(Ⅰヨハ1:1~2)。一方、言が肉体となって現れることについて、旧約聖書で預言され、新約聖書で実現された。後世の人々は文字情報を通して、言が肉体となった事を知ることができた(Ⅰテモ2:4~5)。これらのことに預言者の確実な預言があったほか(Ⅱペテ1:19)、伝道者の詳しい考察によって、順序に従ってわたしたちに伝え、わたしたちが学んだすべての教えを確かなものにしてくれた(ルカ1:3~4)。

     

  • 六、神はどんな方法で御自分の言葉を聖書に成らせたのか?

    答:神は御言をユダヤ人に託された(ロマ3:1~2、9:4)。彼らは神の選民であり、彼らのように神の声を聞ける民族は他にいない(申4:33、36)。だから、聖書の作者の多くがユダヤ人であり、彼らは生ける御言を受けてわれわれに宣べ伝えた(使徒7:38)。神から受けた御言の源と方法は次の通りである:
    1.神はモーセとは口ずから語り、明らかに言って、なぞを使わない(民12:7~8)。
    2.神は自らの指で石の板に字を書かれた(出エジ31:15、申10:2)。
    3.神は声をもって預言者に語られる(列王上19:12~13、サム上3:10)。
    4.神は天から声を発せられ、雲の中から人を指示された(マタ3:17、ルカ9:35、ヨハ12:28,30)。
    5.神は天使を遣わして御言を伝えさせた(ダニ9:21、ルカ1:11、ヘブ2:2)。
    6.神は夢と幻で啓示される(民12:6、マタ1:20、Ⅱコリ12:1,4)。
    7.神は聖霊をもって預言者と使徒を感動させ、記され、語らせた(サム下23:2、Ⅱペテ1:21、黙1:19)。
    8.神は御子イエスを遣わせ、御言を宣べ伝えさせた(ヨハ3:34、8:26、12:49~50)。

     

  • 七、聖書の内容はすべて神の言葉なのか?

    答:聖書は神の「語録」であるほか、歴史の「記録」でもある。だから、人間が自ら語った言葉もあれば(ダニ10:12)、天使の語った言葉(ルカ2:13、黙22:8~9)とサタンの言葉もある(ヨブ2:4)。聖書はこれらの言葉をはっきりと分類させ、一目瞭然である。例えば、神はアダムに言われた、「それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。しかしサタンは否定して言った、「決して死ぬことはないでしょう」、「ほんとうに神が言われたのですか」。神は人に「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」と言われたのに、サタンは「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」と言った。これは明らかな対照である。サタンは神の御言に反して、人に聖書を疑う心を持たせることを得意とする。また、人の口を借りて、偽善の言葉を語らせたり(マタ16:23、使徒16:16~17)、聖書の教えを歪曲させ、人を誘惑したりする(マタ3:6、Ⅱコリ11:3)。以上のことを見極め、サタンのだまし惑わす策略に陥らないよう気をつけよう(エペ4:14)。

     

  • 八、聖書の全書の著作にかかる年数は?

    答:モーセによって書かれた第一巻である「創世記」からヨハネによって書かれた最後の一巻である「ヨハネの黙示録」まで、およそ一千五百年の長い間を経ている。四十人の違った時代と場所の人によって書かれた各巻は調和がとれないはずである。しかし、不思議なのは、聖書は一つの意志に指揮され編纂されたように、最初から最後まで一貫性に徹し、系統的で、前後貫いている。この意志は永遠の神によって啓示されたことに疑う余地もない(黙1:1)。

  • 九、聖書は新、旧約に分かれるが、その中心とは何か?

    答:聖書の全書は新、旧約に分けられ、全六十六巻がある。旧約は三十九巻で、イエスがご誕生される前に書かれたものであり、各巻には預言或いは預表をもってイエスは神の子であり、世に誕生され、人を救うことを暗示している。新約は二十七巻があり、イエスのご誕生の出来事、教訓、聖霊が教会での働き及び後に成就されることの預言が記載されている。新、旧約の中心は主イエス・キリストである。だから、主イエス・キリストは言われた:「この聖書は、わたしについてあかしをするものである」(ヨハ5:39)、「モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」(ルカ24:44)

  • 十、旧約の三十九巻の内容と性質とをどう分けるのか?

    答:旧約は「律法」、「歴史」、「詩歌」、「預言」の四種類に分けられる:
    1.「律法」は「モーセ五書」とも呼ばれ、略して「創、出エジ、レビ、民、申」の五巻である。中の多くは律法、礼儀、法律例規、法令制度である。創世記は上古時代の歴史である。
    2.「歴史」は全十二巻ある。略して「ヨシュ、士、ルツ、サム上、サム下、列王上、列王下、歴代上、歴代下、エズ、ネヘ、エス」と呼ぶ。
    3.「詩歌」は全五巻ある。略して「ヨブ、詩、箴、伝、雅」と呼ぶ。
    4.「預言」(即ち預言書)は全十七巻である。略して「イザ、エレ、哀、エゼ、ダニ、ホセ、ヨエ、アモ、オバ、ヨナ、ミカ、ナホ、ハバ、ゼパ、ハガ、ゼカ、マラ」と呼ぶ。

     

  • 十一、新約の二十七巻の内容と性質とをどう分けるのか?

    答:新約は「福音」、「歴史」、「手紙」、「預言」の四種類に分けられる:
    1.「福音」は全四巻があり、即ち「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ」である。これらは主イエスが世におられる時の伝記である。
    2.「歴史」は一巻で、即ち「使徒行伝」である。これは聖霊が主イエスに引き継ぐ働きの記録であり、新約時代の真の教会発祥の歴史でもある。
    3.「手紙」は全二十一巻がある。略して「ロマ、Ⅰコリ、Ⅱコリ、ガラ、エペ、ピリ、コロ、Ⅰテサ、Ⅱテサ、Ⅰテモ、Ⅱテモ、テト、ピレ、ヘブ、ヤコ、Ⅰペテ、Ⅱペテ、Ⅰヨハ、Ⅱヨハ、Ⅲヨハ、ユダ」と呼ぶ。
    4.「預言」は一巻で、即ち「ヨハネの黙示録」である。

     

  • 十二、聖書の原本はどんな文字で書かれたのか?

    答:原本聖書の旧約はヘブライ文字で書かれ、新約はギリシャ文字で書かれた。原本の抄本は今も世に残され、多くの学者の翻訳時の根拠になっている。原本は神の霊がその僕に啓示を与えて直接書かれたものでため、多くの原本の意味を熟知する学者によって各言語に翻訳された。

  • 十三、我々は聖書に対し、どんな信仰を持つべきか?

    答:クリスチャンは聖書が完全な、間違いのないことを信じるべきである。聖書は神の霊感を受けて書かれたものであり、神の御言は精錬されたものである(詩119:140)。力に満ちたものとして(ルカ1:37)、書き加えたり、取り除いたりしてはいけない(黙22:18~19)。主イエスが言われる、「聖書の言葉は決して滅びることがない」。だから、完全に信じ、神の御言葉をすべて受け入れる。人意の標準に合わないからと言って、妄りに超然たる性質を取り消し、或いは無理な解釈をしてはならない(Ⅱペテ3:16)。謙虚に主に、聖書を悟らせるようにわたしたちの心を開いてくださることを追い求め(ルカ24:45)、更に、聖霊があらゆる真理に導いてくださるように追い求めるべきである(ヨハ16:13)。それは、「文字は人を殺し、霊は人を生かす」(Ⅱコリ3:6)からである。

  • 十四、聖書が世の人に与えた効果とは何か?

    答:「神の言は生きていて、力がある。」聖書の働きは世の人に対して、次の効果がある:
    1.聖書は鏡であり、人の罪を照らし(ガラ3:22、ヤコ1:23)、人に自分が罪人であることを認識させる(ロマ3:20)。
    2.聖書はもろ刃の剣であり、人の精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまで刺し通して、心の思いと志とを見分けることができる(ヘブ4:12)。
    3.聖書は岩を打ち砕く鎚であり(エレ23:29)、人の硬い心を打ち砕かせる。
    4.聖書は火であり、「見よ、わたしはあなたの口にあるわたしの言葉を火とし、この民をたきぎとする。火は彼らを焼き尽くす」(エレ5:14、23:29)。
    5.聖書は朽ちない種であり(Ⅰペテ1:23)、人の心に撒かれ、成長し実を結ぶことができる(マタ13:23)。
    6.聖書は霊の命の食物であり(エレ15:16、ヘブ5:14)、霊の乳である(Ⅰペテ2:2)。
    7.聖書はわが足のともしび、わが道の光である(詩119:105,130)。
    8.聖書は心と霊とを守る良薬である(箴4:20,22)。
    9.聖書は汚れを清める清い水である(ヨハ15:3、ヘブ10:22)。
    10.聖書は悪霊に打ち勝つ御霊の剣である(エペ6:17)。

  • 十五、聖書の「律法」の性質と作用とはどんな区別があるのか?

    答:旧約の律法はモーセによって伝えられたものであり(ヨハ1:17)、シナイ山から始まった(出エジ19章)。新約時代になって、イエス・キリストが誕生され、恵みの時代に入った。だから、旧約の律法はその内容、性質の違いによって、存続するものと廃除するものがある。(ルカ16:17、ヘブ7:18)。「律法」は総称であり、「戒め」、「おきて」、「定め」の三元素からなり、その違いは次の通りである:
    1.戒め(道徳性):即ち十誡であり(出エジ20:1~17)、律法の最高標準として、一点一画もすたることなく(マタ5:17~18)、時間と場所の制限も受けない。
    2.おきて(礼儀性):当時のイスラエル人の社会生活の規則を管理し、民たちの関係と権利を定める(出エジ21:1、24:11)ものである。
    3.定め(宗教性):イスラエル人が神を敬い、奉仕する宗教生活を定めるものであり(出エジ24:11、31:18)、その後はユダヤ教の教則と規定になった(ガラ1:14、使徒28:17)。

     

  • 十六、神の十誡とは何か?

    答:
    1.わたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
    2.自分のために刻んだ像を造ってはならない。どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。
    3.主の名をみだりに唱えてはならない。
    4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。
    5.あなたの父と母を敬え。
    6.殺してはならない。
    7.姦淫してはならない。
    8.盗んではならない。
    9.偽証してはならない。
    10.隣人のものをむさぼってはならない。

     

  • 十七、十誡の中で、どれが一番大事か?その総意とは何か?

    答:第一~四誡は神を愛する本分であり、第五~十誡は人を愛する本分である。これらは二点にまとめられる:「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』これより大事ないましめは、ほかにない」(マル12:30~31)。「これら二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」(マタ22:35~40):「だから、愛は律法を完成するものである」(ロマ13:10)。律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになる(ヤコ2:10~11)。

  • 十八、イエスを信じる人は神の戒めに対し、どんな責任があるのか?

    答:イエスを信じる人は信仰によって義とされた。恵みによって救われたため、律法の下にではなく、恵みの下にある。「それでは、どうなのか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからと言って、私たちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない」(ロマ6:15)。「信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである」(ロマ3:31)。だから、クリスチャンは神の十誡を「自由の律法」として固め(ヤコ1:25)、「尊い律法」として守るべきである(ヤコ2:8)。「これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである」(ロマ8:4)。すべて真の聖徒は神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづけるべきである(黙14:12)。

  • 十九、聖書の霊的なことをどう解釈するのか?

    答:聖書は神の霊感を受けて書かれたものだから、神の霊を受けた人にのみそれを知り、解釈することができる。「霊によって霊のことを解釈する」(Ⅰコリ2:12~13)。だから、霊に属するクリスチャンは、肉に属する人が聖書に書かれている霊のことを理解できないから愚かだと思って聖書に対する信念を揺るがしてはならない。クリスチャンが聖書の教えを完全に信じ、理解できるのは、彼らに特別な理解能力があるのではなく、聖霊の導きに頼るからである(ヨハ14:26)。だから、肉に属する人にとって理解できないのは当然のことである。これを通して、神は自ら人が愚かと思われる教えを持って信じる人々を救うことを表した。これは神の知恵である(Ⅰコリ1:21)。

  • 二十、歴史上、聖書は人間の反対と破壊を受けたのか?

    答:歴代以来、神は絶えず聖書をもって人の心を感動させ、光を示された。年代、時間、暴力、のろい、どれも聖書の存続に影響を与えられない。三千年あまりの歴史を経ても、聖書のように強く、雄々しく存在できる書物は将来においても現れることはないであろう。多くの神を信じない人は、聖書を消滅しようとしたり、禁書にしたりしたが、すべて神に敗れてしまったのである。百年あまり前に、フランスのある有名な宗教反対者は、聖書は必ず消滅する日が来ると言ったが、しかし事実、今日彼の家は聖書の倉庫にされている。だから、神の大いなる力の手が聖書を保護され、神の御言葉は天においてとこしえに堅く定まる(詩119:89):「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変わることはない」(イザ40:8)。「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない」(マル13:31)。これを通して、聖書の地位がいかに堅いものかが分かる。

     

  • 二十一、聖書に記載される「記事」「教訓」「預言」は人間にどんな働きがあるのか?

    答:
    1.「記事」の部分
    (1)人に信じさせるため:「しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」(ヨハ20:31)。
    (2)人を訓戒するため:「これらの事が彼らに起こったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである」(Ⅰコリ10:11)。「そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちていく者が出るかもしれない」(ヘブ4:11)。「だから預言者たちの書にかいてある次のようなことが、あなたがたの身に起らないように気をつけなさい」(使徒13:40~41)。
    2.「教訓」の部分:「これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである」(ロマ15:4)。その教訓の目的は:「人をさとし」(テト1:9)、「人の徳を高め」(Ⅰコリ14:26)、「人を思い起こさせ」(Ⅱペテ1:12)、「信仰を確立させ」(コロ2:7)、「人を勧め」(Ⅰテサ4:1)、「人を教えにとどまらせ」(Ⅱヨハ9)、「人を潤す」(申32:2)のである。主イエスが言われた:「あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタ28:20)。クリスチャンとして、聖書の教えをひたすら守ることが一番重要である。
    3.「預言」の部分:預言とは「将来に成就されることを書き記す」事である。旧約時代の預言の多くはすでに成就された。一番大きな事はイエスの誕生、受難、復活の状況である。これら預言者による数百年前の預言が全部成就されたのは周知の事実である。この他、成就された旧約時代の預言は次の通りである:
    (1)ツロに関する預言(エゼ26:12)。
    (2)エジプトに関する預言(エゼ30:14~16、イザ19:5~8)。
    (3)エドムに関する預言(オパ18、エゼ25:13)。
    (4)バビロンに関する預言(イザ13:20~21、14:25、エレ50:25~35)。
    (5)ペリシテに関する預言(ゼパ2:5)。
    (6)パレスチナに関する預言(申29:28、ミカ1:6、3:12)。
    (7)ユダの国に関する預言(イザ6:9~12、申28:64、レビ26:44、エレ9:19)。
    (8)世界の歴史に関する預言(ダニ2、7、8章の中の幻)。
    新約時代にある預言は成就されたものもあり、成就されつつあるものもある。そして将来成就されるものもある。これらは神を信じる者なら、皆公認する事である。というのは神のみが「それを持ってきて、起るべき事をわれわれに告げよ。さきの事どもの何であるかを告げよ。われわれはよく考えて、その始末を知ろう。あるいはきたるべき事をわれわれに聞かせよう」(イザ41:22)とする事ができる。

     

  • 二十二、伝道者は聖書に対してどんな態度を持つべきか?

    答:
    1.聖書に合うことを伝える(イザ8:20)。
    2.イエスについてのしるしを説き明かす(ルカ24:27)。
    3.聖書に基づいてイエスを宣べ伝える(使徒8:35)。
    4.聖書に基づいてキリストを宣べ伝える(使徒17:2~3)。
    5.神の御言に基づいて教える(Ⅰペテ4:11)。
    6.教えを正確に説き明かす(Ⅱテモ2:15)。
    7.あやふやな事を言わない(Ⅱコリ1:18)。

     

  • 二十三、信者は真理を学ぶ時、聖書にどんな態度を持つべきか?

    答:
    1.日々聖書を調べる(使徒17:11)。
    2.昼も夜も読む(ヨシュ1:8、詩119:43)。
    3.深く思う(詩119:15、99)。
    4.切に祈る(詩119:125、エペ1:17)。
    5.常に聞き、質問する(ルカ2:46、使徒8:31)。
    6.多く引用し、証する(ルカ23:29~33)。
    7.すべてを実行する(マタ7:24、ヤコ1:25)。

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なぜ「真イエス教会」と呼ぶのですか?

私たちの礼拝する神は真の神ですから、神の教会は真の教会です。
主イエスは自らを真のぶどうの木と呼ばれました。教会は神の体ですから、真の教会と呼びます。
真の教会は真理を伝え広めます。真理とは、聖霊としるしが共に、確かであることを示した完全な福音を指します。
(参考聖句:Ⅰヨハ5:20、ヨハ15:1、5、17:3)