答:裁かれる者は数種に分けられ、その性質の区別は以下の通りである。
1.神の家から裁かれる(Ⅰペテ4:17):この家こそ生ける神の教会であり(Ⅰテモ3:15)、即ち第一の復活にあずかる者である。教会とは神の創造された万物の中において初穂とされる(ヤコ1:18、ロマ8:23)、ゆえに、裁きは教会から始めなければならない。なぜ教会が裁かれるのか?それは教会が地上において完全なる善ではないゆえに、最後の区別と判断が必要となるからである。(マタ13:26~30)。
(1)悪人を集める:「人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集める」(マタ13:41)。
(2)仕事をはっきりさせる:「それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる…」(Ⅰコリ3:13~15)。
(3)申し開きをする:「神のさばきの座の前に立つ…神に対して自分の言いひらきをすべきである」(ロマ14:10~12)。
(4)隠されたことをあらわにする:「主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう」(Ⅰコリ4:5)。
(5)賞罰の施行:「わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである」(Ⅱコリ5:10)。このような善悪の賞罰は、「人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきであり」(ガラ6:5)、その行いが善であれば、神からほまれと賞与を得ることができる(Ⅰコリ4:5、ピリ3:14)。また、その行いが悪であれば、重い者は世の人と共に罪に定まれ(ヘブ6:8、10:26~31)、軽い者は主の懲らしめを受け(Ⅰコリ11:32)、火の中をくぐりぬけるようにではあるが、救われる(Ⅰコリ3:15)。
2.イスラエル人が裁かれる(マタ19:28):「イエスは彼らに言われた、よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう」。イスラエル人は古来より神に選ばれた民たちである。彼らの中には、キリストの救いを受けた者もいれば、拒絶した者もいる。主が十二の位を設けて彼らを裁かれるのは、彼らがキリストを信じないからである。「律法に安んじ、神を誇とし、御旨を知り、律法に教えられた」(ロマ2:17~18)。ゆえに「律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる」(ロマ2:12)。これは神がイスラエル人を裁く原則であり、神が前もって知っておられる民たちを捨てることはないからである。福音について言えば、彼らは、弟子たちのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である(ロマ11:28)。だから異邦人が全部救われるに至った時、全てのイスラエル人は救われる(ロマ11:25~26)。しかし最後までキリストを信じない頑なな者は滅ぼされる(ロマ11:7、ルカ19:27)。つまり自分が永遠の命にふさわしくないユダヤ人だと断定することになる(使徒13:46)。
3.獣とにせ預言者が裁かれる:「獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた」(黙19:20)。獣とにせ預言者とは教えに背き反逆する、にせ教会の組織を指す。
4.万民が裁かれる(黙6:10):ここで「地に住む者」とは、肉体は世に生きているが、キリストを信じず、故意に神を認識しない人のことである。そして末の日が突然来て、主イエスが天より現れた時、「地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。そして、山と岩とにむかって言った、『さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか』」(黙6:12~17)。
5.死人が裁かれる(黙11:18):死人とはイエスを信じないで肉体が死んだ者たちを指し、二度目の「罪の定めと復活」の裁きを受ける(黙20:11~15)。この裁きで、死人は墓や海から出され、魂は黄泉から出され、元の身体に戻って白い御座の前に立ち、書物に記された各々のわざにおいて裁きを受ける。生前イエスを信じなかった者は、その罪がぬぐい去られることはない(使徒3:19)。命の書に名が記されていない者は永遠の滅びにいたる刑罰を受ける(Ⅱテサ1:8~9)。
6.罪を犯した御使が裁かれる(ユダ6):「主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた」。罪を犯した御使とはサタンとその従者である。神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた(Ⅱペテ2:4)。この世は人類が罪を悔いる場所であり、悪魔を留め置く所でもある。「永久に暗やみの中に閉じ込める」とは、彼らが永久に暗闇に属していることを指し、悔い改めて光に向かうことは絶対になく、大いなる日の裁きの時に(マタ25:41、Ⅱペテ2:4)、獣とにせ預言者と共に火の池に投げ込まれる。