答:「聖書が、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵をあなたに与える書物である。人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」(Ⅱテモ3:15~16)。聖書は世の人々の信仰の手引きであり、天国の道を歩むときの灯りである。人々の文学の鑑賞作品、歴史考察の証拠、あるいは哲学の空論のために供したものではない。聖書の最も重要な三つの働きは:
1.人を正す:多くの人は「正しい道からはずれて迷いに陥っている」(Ⅱペテ2:15)。神は言われる:「わたしの戒めを心にとめよ」(箴1:23)。「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ」(エレ6:16)。「もし彼らがわたしの議会に立ったのであれば、わたしの民にわが言葉を告げ示して、その悪い道と悪い行いから、離れさせたであろう」(エレ23:22)。これは神が聖書を通して、今どこにいる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じられたのである。(使徒17:30、3:19)。
2.人に義を学ばせる:「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう」(マタ5:6)。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんの差別もない(ロマ3:22)。「モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである」(使徒13:38~39)。人はイエス・キリストを信じることによって価なしに儀とされ、聖書の教えを受け、義の言葉を味わう(ヘブ5:12~13)、「それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである」(Ⅱテモ3:17)。
3.人に救いを得させる:主イエスが言われる:「わたしは人からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである」(ヨハ5:34)。神が聖書で語られた御言葉は私たちに救いを得させるためである。主はまた言われる:「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」(ヨハ6:63)。「もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう」(ヨハ8:51)。「御言には、あなたがたのたましいを救う力がある」(ヤコ1:21)。「これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である」(Ⅰペテ1:25)。