答:洗足は古代ユダヤ人が客をもてなす際の一つの礼儀である。例えば、アブラハムが天使をもてなした時に、「水をすこし取ってこさせますから、あなたがたは足を洗って…せっかくしもべの所においでになったのですから」(創18:4~5)。この礼儀は主イエスの時代にも伝えられた。パリサイ人シモンが主イエスを食事にもてなした時、足を洗う水を用意しなかったため、主に指摘された(ルカ7:44)。これは主に対する尊敬が欠けているからである。人の足を洗うことは卑しいことであり、しもべのすることである。バプテスマのヨハネは主に謙遜の意を表すため、主の靴ひもを解く値うちもないと言った。「聖徒の足を洗う」ことは使徒時代の年老いたやもめの美徳にもなっている(Ⅰテモ5:10)。