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裁き

  • 一、裁きの意義とは何か?

    答:周知の通り、人は政府の法律を犯すと逮捕され、裁判官の前で裁判を受け、法律に従って裁かれる。同様に、世の人々は神の律法を犯し、真理に合わないことをしたゆえ、全世界が神のさばきに服する(ロマ3:19)。聖書はすでに警告している、「不義な者を罰して、裁きの日まで閉じ込めておく」(Ⅱペテ2:9~10)。

  • 二、神の裁きの日はいつか?

    答:聖書では、「未来の審判」(使徒24:25)、「正しい裁き」(ロマ2:5)、「大いなる日の裁き」(ユダ6)と呼ばれている。これは主イエスが再び世に来られる時であり(黙20:11~12)、イエスは生きている人と死んだ人を裁く主であると神が定められたからである(使徒10:42、ヨハ5:27)。

  • 三、神はいつくしみ深いのに、なぜ人を裁かれるのか?

    答:神はいつくしみ深いと同時に、正義の神でもある。人を偏ってみることはなく、「神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義を行う人に、激しい憤りとが加えられる。悪を行うすべての人には、患難と苦悩とが与えられ…善を行う人すべての人には光栄とほまれと平安が与えられる」(ロマ2:6~10)。

  • 四、世の人の行いは明らかにされたものと隠されたものがあるが、神はすべて裁かれるのか?

    答:神は全てをご存知で、人の行いを絶対に忘れることはない。また神の書物には罪人の言語や行いが記されており(黙20:12;ダニ7:10)、覚え書があって、その中に神を恐れ敬う者達の名が記されている(マラ3:16)。「審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう」(マタ12:36)。「やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない」(Ⅰペテ4:5)。人の罪は審判者である主の前において清算され、終わりを迎える。「ある人の罪は明白であって、すぐ裁判にかけられるが、ほかの人の罪は、あとになってわかって来る。それと同じく、良いわざもすぐ明らかになり、そうならない場合でも、隠れていることはあり得ない」(Ⅰテモ5:24~25)。「神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである」(伝12:14)。

  • 五、神の裁きはどんな人に限られるのか?逃れることはできるのか?

    答:「一度だけ死ぬことと、死んだのち裁きを受けることとが、人間に定まっている」(ヘブ9:27)、裁きも一人一人に臨むものである。聖書の中では「裁き」について419回、「裁く者」、「裁かれる者」については335回提起されている。ゆえに裁きは非常に厳格で、人の定めである。聖書ではこのように警告している:「あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか」(ロマ2:3)。今日最も重要な問題は、どのようにして生きている間に、死後行われる裁きで不幸な結末を迎えないようにするか、つまり将来、審判者の前で罪に定まれることなく、逆に永遠の命を得ることができるようにするかである(ヨハ6:27)。怒りはほまれに変わる(Ⅰコリ4:5)。これはまさに人生における転ばぬ先の杖である。

  • 六、神はなぜ世の人を裁かれるのか?

    答:
    1.万民を分けるため(マタ25:31~32):「すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう」、「その時あなたがたは、再び義人と悪人、神に仕える者と、仕えない者との区別を知るようになる」(マラキ3:18)。全ての生ける者と死ぬ者はこの二つに「区別」される。

    2.終局の判定のため(マタ25:46):「そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」、「まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れる」(マタ13:30)、「麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」(マタ3:12)。

     

  • 七、裁かれる者は何種類に分けられるのか?その性質に区別はあるのか?

    答:裁かれる者は数種に分けられ、その性質の区別は以下の通りである。

    1.神の家から裁かれる(Ⅰペテ4:17):この家こそ生ける神の教会であり(Ⅰテモ3:15)、即ち第一の復活にあずかる者である。教会とは神の創造された万物の中において初穂とされる(ヤコ1:18、ロマ8:23)、ゆえに、裁きは教会から始めなければならない。なぜ教会が裁かれるのか?それは教会が地上において完全なる善ではないゆえに、最後の区別と判断が必要となるからである。(マタ13:26~30)。
    (1)悪人を集める:「人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集める」(マタ13:41)。
    (2)仕事をはっきりさせる:「それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる…」(Ⅰコリ3:13~15)。
    (3)申し開きをする:「神のさばきの座の前に立つ…神に対して自分の言いひらきをすべきである」(ロマ14:10~12)。
    (4)隠されたことをあらわにする:「主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう」(Ⅰコリ4:5)。
    (5)賞罰の施行:「わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである」(Ⅱコリ5:10)。このような善悪の賞罰は、「人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきであり」(ガラ6:5)、その行いが善であれば、神からほまれと賞与を得ることができる(Ⅰコリ4:5、ピリ3:14)。また、その行いが悪であれば、重い者は世の人と共に罪に定まれ(ヘブ6:8、10:26~31)、軽い者は主の懲らしめを受け(Ⅰコリ11:32)、火の中をくぐりぬけるようにではあるが、救われる(Ⅰコリ3:15)。

    2.イスラエル人が裁かれる(マタ19:28):「イエスは彼らに言われた、よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう」。イスラエル人は古来より神に選ばれた民たちである。彼らの中には、キリストの救いを受けた者もいれば、拒絶した者もいる。主が十二の位を設けて彼らを裁かれるのは、彼らがキリストを信じないからである。「律法に安んじ、神を誇とし、御旨を知り、律法に教えられた」(ロマ2:17~18)。ゆえに「律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる」(ロマ2:12)。これは神がイスラエル人を裁く原則であり、神が前もって知っておられる民たちを捨てることはないからである。福音について言えば、彼らは、弟子たちのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である(ロマ11:28)。だから異邦人が全部救われるに至った時、全てのイスラエル人は救われる(ロマ11:25~26)。しかし最後までキリストを信じない頑なな者は滅ぼされる(ロマ11:7、ルカ19:27)。つまり自分が永遠の命にふさわしくないユダヤ人だと断定することになる(使徒13:46)。

    3.獣とにせ預言者が裁かれる:「獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた」(黙19:20)。獣とにせ預言者とは教えに背き反逆する、にせ教会の組織を指す。

    4.万民が裁かれる(黙6:10):ここで「地に住む者」とは、肉体は世に生きているが、キリストを信じず、故意に神を認識しない人のことである。そして末の日が突然来て、主イエスが天より現れた時、「地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。そして、山と岩とにむかって言った、『さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか』」(黙6:12~17)。

    5.死人が裁かれる(黙11:18):死人とはイエスを信じないで肉体が死んだ者たちを指し、二度目の「罪の定めと復活」の裁きを受ける(黙20:11~15)。この裁きで、死人は墓や海から出され、魂は黄泉から出され、元の身体に戻って白い御座の前に立ち、書物に記された各々のわざにおいて裁きを受ける。生前イエスを信じなかった者は、その罪がぬぐい去られることはない(使徒3:19)。命の書に名が記されていない者は永遠の滅びにいたる刑罰を受ける(Ⅱテサ1:8~9)。

    6.罪を犯した御使が裁かれる(ユダ6):「主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた」。罪を犯した御使とはサタンとその従者である。神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた(Ⅱペテ2:4)。この世は人類が罪を悔いる場所であり、悪魔を留め置く所でもある。「永久に暗やみの中に閉じ込める」とは、彼らが永久に暗闇に属していることを指し、悔い改めて光に向かうことは絶対になく、大いなる日の裁きの時に(マタ25:41、Ⅱペテ2:4)、獣とにせ預言者と共に火の池に投げ込まれる。

     

  • 八、イエスと共に裁きを執り行う者は誰か?

    答:十二使徒(マタ19:28)、すなわち第一の復活にあずかる聖徒である(黙20:6)。聖書曰く、「聖徒は世をさばくものであることを、あなたがたは知らないのか?御使をさえさばく者であることを、あなたがたは知らないのか?」(Ⅰコリ6:2~3)。つまり将来キリストと共に王となる者には、このような裁きの力があるのである。霊的に言えば、今日霊に属する真の教会が末の世に現れたが、これはすなわち、黙示録19章11節:「白い馬がいた。それに乗っているかたは、『忠実で真実な者』と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである」と書かれているように、真の教会は今主イエスと共に霊に属する裁きと戦いを執り行っているのである。

  • 九、将来裁きの時に、罪に定める根拠は何か?

    答:
    1.真理:「わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている」(ロマ2:2)。
    2.良心:律法を持たない異邦人は、彼らの良心の証しで裁かれる(ロマ2:15)。
    3.律法:「律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる」(ロマ2:12、ヤコ2:12)。「律法を誇としながら、自らは律法に違反して、神を侮っているのか」(ロマ2:23)。「生れながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのである」(ロマ2:27)。
    4.福音:「わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう」(ロマ2:16)。「わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう」(ヨハ12:48)。
    5.しるし:「おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、…悔い改めたであろう。…さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」(マタ11:20~24)。

     



  • 十、どうすれば白い御座の裁きから逃れられるのか?

    答:白い御座は「死んだ人」(霊性の死も含める)を裁くためにある。彼らの罪悪は、主の血によって清められていないために、真の生まれ変わりを得ていないことである。最大の罪はキリストを拒んだことである。キリストは彼らのために十字架の上で死なれた救い主イエスであり、罪人を死より救い出す主である。今これらの死んだ人は、「罪の中に死んだ」者であり、生きている間主を信じない者であった。栄光の中でキリストが裁きの主となられるのを見てから信じてもすでに遅い。彼らが世にいる間、主を信じる機会は多くあったのに、最後まで拒んだ。後悔してももう遅いのである。大小に関わらず必ず白い御座の前において裁かれる。書物が開かれ、また命の書も開かれる。命の書に名が記されている人は裁かれることはないが、命の書に名が記されていない者は裁かれ、罪に定められる。

  • 十一、なぜ命の書を根拠とするのか?

    答:白い御座とは人がキリストの命にあずかるか否かを裁くために設けられたものである。「死」と称された者はキリストにあって救われたことがないのであり(エペ2:5)、最後は罪のうちに死ぬ(ヨハ8:24)。彼らは世界のあらゆる場所より来る。海や地、また墓や黄泉から来るのである。彼らの命はキリストと共に神のうちに隠されておらず(コロ3:3)、命の書に名がない者は最後火の池に投げ込まれる。真に主を信じて生まれ変わった者は真の命を得ることができ(Ⅰテモ6:19)、その名は命の書にはっきりと書きとめられ(ピリ4:3)、第二の死は彼らの上において何の力も示さない。それゆえ主イエスはこう言われた:「あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」(ルカ10:20)。

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私たちの礼拝する神は真の神ですから、神の教会は真の教会です。
主イエスは自らを真のぶどうの木と呼ばれました。教会は神の体ですから、真の教会と呼びます。
真の教会は真理を伝え広めます。真理とは、聖霊としるしが共に、確かであることを示した完全な福音を指します。
(参考聖句:Ⅰヨハ5:20、ヨハ15:1、5、17:3)