答:聖餐を受ける人には次の恵みが得られる:
1.主と交わりを結ぶ:「わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか」(Ⅰコリ10:16)。聖餐をいただくことは主と最も密接な交流とつながりを持つことである。
2.霊の命を保つ:「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」(ヨハ6:53)。人が命を得られるのは主の霊によるものである。主の肉と血は霊の糧である。「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」(ヨハ6:51)。この言葉は聖餐のことも含まれている。主の聖餐を頂くことによって、私たちの霊の命をもっと豊かにすることができる。主の肉と血の霊的ば活力は魂の奥に浸透し、永遠に保たれることができる。
3.教会を結合させる:「パンは一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである」(Ⅰコリ10:17)。パンは一つである。みんなが共に主のからだをいただき、各自が主と交わり、連合されるばかりでなく、各々も互いに交わり、結び合って、新しい粉のかたまりになるのである(Ⅰコリ5:7)。その一つのパンがみんなのために裂かれたのは、これをいただいたみんなが互いに一つとなって、キリストにあって一体となるためである(ロマ12:5)。
4.世の末の日に復活する:「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終わりの日によみがえらせるであろう」(ヨハ6:54,57)。主のからだは永遠に生きるものである。彼は一度死なれたが、からだが朽ちることはなかった。神が彼をよみがえらせた(使徒2:31~32)ことによって、主は死んだ人がよみがえることの初穂となったのである。だから、主の聖餐をいただく者は、世の末の日に、主が復活されたときと同じように、からだは必ず死からよみがえるのである(ピリ3:21、Ⅰコリ15:44,52)。