魔鬼
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答:悪魔とは天上にいる悪の霊であり(エペ6:12)、人はそれを見ることが出来ず、闇の世界を支配する全世界を惑わす者である(黙12:9)。首領はサタンである(エペ2:2)
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答:聖書の中には悪魔について多くの名が記されている。黙12:9 の中に4 種類ある。
1.悪魔:原文では「誹謗」、「誣告」の意味。世の人の前で神を誹謗し(創3:1,4~5)、また神の前で人を誹謗し(ヨブ1:9,11、2:4~5)、人を訴える(黙12:10)。
2.サタン:原文では「敵対」、「反対」の意味(マタ4:10)。旧約では18 回、新約では36 回記されている。その思想行動は、真の神に反し、善に敵対する。
3.古の蛇:原文では「発光」、「誘惑」の意味。狡猾、欺きを表す。この名の由来は、エデンの園で蛇となってエバを惑わして罪を犯させたからである(Ⅱコリ11:3)。
4.大きな龍:「呑み込む」、「残忍」の意味。ユダヤから来るキリストを呑み込もうとし(黙12:4~
5)、呑み込めるクリスチャンを探している(Ⅰペテ5:8)。
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答:また「べリアル」と呼び、サタンの別名である(Ⅱコリ6:15)。原文では強盗を意味する。また「ベルゼブル」(マタ12:24)、「悪しき者」(マタ6:13)、「試みる者」(マタ4:3、Ⅰテサ3:5)、「この世の君」(ヨハ12:31)、「この世の神」(Ⅱコリ4:4)等、全てサタンの名である。
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答:サタンは一つの霊である。悪の霊気であるが、位がある。地の上をあちらこちら歩き、神の僕を観察する(ヨブ1:7~8)、「時にサタンが起ってイスラエルに敵し、ダビデを動かして・・・」(歴代上21:1)、人殺しと嘘つき(ヨハ8:44)、これら全てがサタンには位があり、思想があり、策略があるものである事を証明する(Ⅱコリ2:11)。
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答:サタンは初めからあるものではない。宇宙にある見えるもの、見えないものは、神以外、全て造られたものであり(コロ1:16)、神だけが唯一有って有るものである(出3:14)。サタンは元来力ある天使が罪を犯したものである。旧約聖書の中ではその由来と堕落の歴史が記されている。エゼ28:14ではケルブと呼ばれ、15節では「造られた者」と言われている。本章11節~19節の哀歌ではツロの君を借りて霊界の堕落を暗示したのである。主題はサタンが罪を犯した一部始終である。その哀歌の内容は以下の通りである。
(1)もとは油を注がれたケルブである。
(2)神の聖なる山に置かれ、かつてはエデンの園にいた。
(3)作られた日に備えられた。
(4)知恵に満ち、美の極みで完全であった。
(5)その行いは完全であった。
(6)後に悪が見いだされた。
(7)暴虐が満ちて、罪を犯した。
(8)自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚した。
(9)犯した多くの罪によって聖所を汚した。
(10)神の聖なる山から投げ出された。
(11)火の石の間から追い出された。
(12)地に投げうたれ、終わりを遂げて永遠に失せ果てる。 -
答:イザ14:12~17ではバビロン王を通してサタンの堕落について暗示されている。12節「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。」その原因としてサタンの驕りが指摘される。13~14節「あなたはさきに心のうちに言った、わたしは・・・にのぼり、・・・におき、・・・に座し、・・・にのぼり、・・・になろう」と5回も続けたことから、その野心の大きさが分かる。自分を神の星の上に置き、北の果てに座し、いと高き者と同等になろうとした。しかし、神に反逆し、悪行を行い、最後は倒され、陰府に落され、穴の奥底に入れられる。
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答:「悪魔は初めから罪を犯しているからである」とは悪魔が初めに罪を犯したことを表す。人類のいない遥か前からそれは造られ、また罪を犯した。罪を犯す前はきっと良き者だと分かる。なぜなら「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝3:11)からである。アダムが罪を犯す前にも良き者であったのと同様である。
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答:悪魔自身が罪を犯している。全て自身の高慢からである(Ⅰテモ3:6)。主イエスがユダヤ人に言った:「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ」(ヨハ8:44)。悪魔が罪を犯すのは自身からであり、罪を犯した後、世界の全ての罪の「試みる者」となった(Ⅰテサ3:5)。また天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した(黙12:4、星とはサタンの使者を指す)。
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答:この「初め」とは太古の初めではない。なぜならその時まだ人は存在していないからである。人類が生まれたとき、悪魔は蛇を借りて嘘をつき、アダムの霊的な命を殺した:またカインを使って神を信じるアベルを殺した(Ⅰヨハ3:12)。その企みは全世界の人を悪魔に属させ、神の救いを信じさせないためである。アベルは世界で初めて神の救いを信じる人で、初めて小羊をもって神に捧げた(創4:4)。小羊とはキリストを表すのである。しかしカインは「地の産物」をもって捧げた。それはキリストの救いを信じないことであるため、神に喜ばれなかった。
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答:世に罪をもたらす(創3章)、世界を乱す(創6:5,12)、キリストを殺そうとする(マタ2:13、ルカ23:5)、人が聞いた御言を奪う(マル4:15)、毒麦をまく(マタ13:39)、教会を迫害する(黙20:9、使徒8:1)、神の僕を阻む(Ⅰテサ2:18、ダニ10:13)、聖書を誤って用いる(マタ4:5、Ⅱペテ3:17)、義を偽る(Ⅱコリ11:14~15)、信徒をふるいにかける(ルカ22:31)、人を惑わして道から離れさせる(Ⅰテモ4:1)、人に偶像礼拝をさせる(黙9:20)、邪術を行う(Ⅱテサ2:9~10)、まっすぐな道を曲げる(使徒13:10)、まじないで世を欺く(黙18:23)。
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答:人の心に入る(ルカ22:3、使徒5:3)、人の心を操る(エペ2:2)、人の思いをくらませる(Ⅱコリ4:3~4)、病を患わせる(使徒10:38、ルカ13:16)、患難に遭わせる(ヨブ2:7、黙2:10)、人を狂わせる(マタ8:28)、人の身を傷つける(マル5:5)、人を捕らえて惑わせる(Ⅱテモ2:26)、人を惑わして罪を犯させる(Ⅱコリ11:3):悪魔が人を陥れるときは、邪霊をもって人の心を操るか、悪霊をもって人に憑く(ルカ4:33)。人の霊魂と身を滅ぼし、「地獄の子」とするのがその目的である(マタ23:15)。
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答:「神の子(イエス・キリスト)が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである」(Ⅰヨハ3:8)。主イエスは死を司る悪魔を破り、主を信じる者の目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、主を信じる事によって、罪のゆるしを得させる(使徒26:18)。
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答:天に悪魔の場所はない。なぜなら天使長ミカエルに敗れ、悪魔とその使者は地に落とされたからである(黙12:4,8~9)。天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである(黙12:12)。現在悪魔の活動範囲はこの世に限られている。主イエスの誕生後サタンは電光のように天から落ちた(ルカ10:18)。食いつくすべきものを求めて歩き回っている(Ⅰペテ5:8):休み場を求めて歩きまわる(マタ12:43)。悪魔は人の心に住む事を最も好み、人の心を更に邪悪にし、捻じ曲げ、でたらめにし、不信仰にする。それにより、邪悪、捻じ曲げ、でたらめ、不信仰の時代を作る(マタ12:45)。
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答:サタンは一国家であり(ルカ11:18)、一味であり(黙2:9、3:9)、サタンの使者とその下役から組織されている。サタンは邪霊で人心を支配し、人の行動を操り、また人の心に神を信じない固い要塞を築き、いろいろな謀略、高慢をもって人が真の神を認識することやキリストに従順になることを阻む(Ⅱコリ10:4~5)。ゆえに私たちクリスチャン及び神の教会は、闇の世界を支配し、又天上にいる悪の霊との戦うのである(エペ6:12)。神の力に頼り、力を合わせて共に福音を伝え、人の心の神を信じない固い要塞を破り、キリストに従順になるようにする。この奉仕の仕事も非常に困難である。
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答:「人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」(伝3:11)。「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属す」(申29:29)。「神の思いは人の思いよりも高く、天が地よりも高いように」(イザ55:8)。ゆえに神がなぜ悪魔を早く滅ぼさないのかという問題については、私たちにとって「隠れた事」である。従って聖書の中にも以下のような解答がある:
1.時間について神と人との見方が違う。神の目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようである(詩90:4)。人にとって引き伸ばしているようでも、神にとってはそうではない。人類の歴史は6000年になるが、神にとっては6日間でしかないかもしれない。神の仕事のスケジュール表には神の定める所がある(伝3:17:使徒1:7)。
2.神が大いなる力をあらわすためである。古代エジプトのパロはサタンをあらわしている。神がパロに言った:「わたしがもし、手をさし伸べ、疫病をもって、あなたと、あなたの民を打っていたならば、あなたは地から断ち滅ぼされていたであろう。しかし、わたしがあなたをながらえさせたのは、あなたにわたしの力を見させるため、そして、わたしの名が全地に宣べ伝えられるためにほかならない」(出9:15~16、ロマ9:17)。これは実は暗にサタンに対して言っている。
神がパロに最後まで抵抗させるのは、パロに神の大いなる力をあらわすためである。これは最後まで抵抗するサタンに対して同じことをしているのであるから、すぐに滅ぼさない原因である。
3.神がその怒りをあらわすためである。聖書曰く:「神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば」(ロマ9:22)、悪魔とその使者は怒りをもって滅びることになっている。神は大いなる寛容で彼らに接し、寛容が多いほど、怒りも蓄積され、滅ぼしも重い。将来サタンが滅ぼされるときに神の「怒り」が公義であり、神の「力」が唯一であることを知る(Ⅰテモ6:15)。
4.悪魔が、自分の時が短いのを知る(黙12:12)。悪魔は主イエスに言った:「まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもを苦しめるのですか」(マタ8:29)。神は無期限で悪魔に対して寛容を示しているわけではなく、ただ時が来ていないだけである。悪魔たちのために「永遠の火」は用意され(マタ25:41)、悪魔も「苦しみを受ける」時があると信じ、また永遠に苦しみを受けるということも信じている(黙21:10)。ゆえに悪霊どもでさえおののいている(ヤコ2:19)。 -
答:
1.呪いを受ける:アダムが罪を犯した後、神はへびに言われた、「おまえは、この事をしたので呪われる」(創3:14)。
2.死を滅ぼす:神はへびに言われた:「女のすえがおまえのかしらを砕く」(創3:15)。キリストが降って十字架で死なれた時、悪魔が支配する死を滅ぼして取り除いた。「死よ、おまえの勝つ力はどこか?」。
3.裁かれる:聖霊が来たのは、罪のため、義のため、裁きのためである。「さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである」(ヨハ16:8,11)。「この世の君」とはすなわちサタンである。
4.追い出される:「神の聖なる山から追い出される」(エゼ28:16)。「この世の君は追い出されるであろう」(ヨハ12:31)。「この世の君が来る」(ヨハ14:30):悪魔が天から追放され、地に落とされた、天には悪魔たちの場所はなく、暗闇の穴に拘束された(Ⅱペテ2:4;ユダ6)。この世界は霊的な意味において暗闇の穴であり(ルカ1:79)、サタンとは「闇の世の支配者」である(エペ6:12)。
5.繋がれる:サタンは千年の間底知れぬ所に繋がれている(黙20:2~3)。千年後しばらくの間解放され、最後の惑わしと戦いをする(黙20:7)。
6.火の池に投げ込まれる:「それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼした」(Ⅰコリ15:24)。悪魔とその使者は悪魔のために用意された火の池に投げ込まれ、永遠の苦しみを受け、死も黄泉も火の池に投げ込まれた(黙20:14)。罪悪の権威と力は粛清され、死も滅ぼされた:ゆえに「最後の敵として滅ぼされるのが、死である」(Ⅰコリ15:26)。前十五26)。
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答:神が火の池を準備したのは、悪魔(サタン及びその使者)を滅ぼすためであり、また悪魔の作り出す罪と死を終わらせるためである。サタンだけを滅ぼして罪悪と死を人類に残すことは神の創造上における御旨ではない。神は罪悪と死を終わらせる。罪によって呪われた大地でさえも終わらせる(創3:17)。また、形ある物も皆焼き尽くされる(Ⅱペテ3:10、12)。このように徹底した粛清によって、新しい天地が実現されるのであり、それはイエスが言われた「かの世」である(ルカ20:34~35)。人類唯一の出口は、「この世」から「かの世」に行く事であり、これは一つの偉大な移転である(コロ1:13)。「かの世」へ入ることは既に神が世の人に許可を与えられた。ゆえに独り子であるイエス・キリストを遣わし、私たちに新しく、かつ活きた道を開拓してくださった(ヘブ10:20)。また聖霊を私たちに与えて証拠とし、神の国に入ることが出来るようにしてくださった(Ⅱテモ4:18)。しかし、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者と断定する人(使徒13:46)、それはイエスを信じず、真の道を捨てた、彼らは「かの世」に入る権利を失うだけでなく、「この世」が滅ぼされるとき、「この世の君」-サタンと共に火の池に投げ入れられる。神は早くから予告された:「信じない…彼らは、火と硫黄の燃える池に落とされる」(黙21:8)。これらをもって世の人に厳重な警告とするには足りないのか?
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答:神と悪魔の分別ははっきりしている、それは光か闇の区別である。世の人が光につかなければ、闇に住んでいるのであって、中立地帯や中間路線は絶対にない。世界には二種類の人しかいない、神に属さなければ、悪魔に属している。言い換えれば、神の子でなければ、悪魔の子である(Ⅰヨハ3:9~10、5:19)。
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答:唯一の方法として、神の救いとあがないを信じること(コロ1:13~14)、主イエス・キリストに従えば、悪魔の力から離れられる。それは過去に神がイスラエル人をエジプトのパロの手から救ったと同じようである(出14:30)。「そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう」(ヤコ4:7)。クリスチャンは神の賜った武具を身にまとい、常に目を覚まし、悪魔と戦い、策略を阻止するのである(エペ6:11)。